はじめに
今回お話を伺ったのは、大学2年生のときにアメリカ・オレゴン大学へ留学したMinaさん。1年間の予定だった留学は、コロナ禍の影響で約4か月に。しかも語学学校を経ずに、最初から現地の学生と同じ授業を受けるという環境でした。
英語に自信があったわけではない。それでも飛び込んだ先で、何に悩み、何を持ち帰ってきたのか。留学を考えている人にこそ読んでほしい、等身大の4か月です。
オレゴン大学 留学経験者・Minaさん

今回はこの方にお話を伺いました!
- ■名前:
- Minaさん
- ■留学当時:
- 大学2年生(20歳)
- ■留学先:
- オレゴン大学(アメリカ・オレゴン州ユージーン)
- ■留学期間:
- 約4か月(2020年)
コロナ禍で変わった留学先。自然豊かなオレゴンへ
Minaさんが在籍する学部は、1年間の留学が必須のカリキュラム。留学先の大学は、GPAとTOEFL・IELTSのスコアによって選べる範囲が変わり、成績の良い人から希望が通りやすい仕組みでした。
もともとの第一希望は、大好きなオーストラリアのゴールドコースト。ところが当時はコロナ禍で、オーストラリアとニュージーランドは入国できない状態でした。残った選択肢は台湾かアメリカ。アメリカではカンザスやユタも候補にあがりましたが、選んだのはその中でも、自然が豊かで魅力的に感じたオレゴンです。
オレゴン大学があるのは、ポートランドから南へ下ったユージーンという街。実際にここで4か月を過ごしたMinaさんは、「かなりの田舎ですが、どこを見ても雄大な自然が広がっていて、のびのびと暮らせる街でした」と振り返ります。

語学学校なし。いきなり現地の学生と同じ教室へ
オレゴン大学の留学生の受け入れには、2つのパターンがありました。どちらも大学が定める語学力の基準をクリアすることが前提で、まず語学学校で学んで基準をクリアしてから大学の授業へ進むパターンと、渡航前の時点ですでに基準をクリアしていて、最初から大学の授業に参加するパターンです。Minaさんは後者でした。
渡航してすぐ、日本人留学生だけのオリエンテーションがありました。そこで出会った日本人の多くは、語学学校のコースへ。わからないことがあれば日本語で相談でき、いつも仲間がそばにいます。
語学学校に通う子たちは、仲間と一緒で心強そうで、正直うらやましく見えました。私は一人で授業を受けるのが本当に不安で、一度だけ「私も語学学校に入れませんか」と相談しに行ったこともあるんです。
それでも、始まったのは現地の学生と同じ毎日でした。
語学学校で過ごしたことはなくて、最初から現地の人たちと授業を受けて、レポートを書いて。本当に普通の学生として過ごしていました。
Minaさんが留学した当時はコロナ禍で、急遽オレゴン大学への入学が決まったこともあり、留学生が履修できる授業が限られていたほか、履修登録もかなり直前になったそうです。満員になったらもう取れません。そのなかで選んだのが、言語学、アジア文化、そしてさまざまな議題について議論するディスカッション中心の授業の3つでした。
現地の履修スタイルは、日本のように週に何コマも授業を取るのではなく、取る授業は3つほど。その代わり、1つの授業で講義とディスカッションが週に2〜3回あり、じっくり学んでいくスタイルです。ディスカッションは、1回およそ2時間続きます。

いちばん大変だったのは、英語でのディスカッション
どの授業にも必ずついてくるディスカッション。留学中にいちばん苦労したのが、この時間でした。
日本語でも難しいような議論が、目の前で次々と交わされていく。まずはその内容を聞き取り、そのうえで自分の意見を述べなければなりません。何の準備もなしに臨むのは、到底無理でした。
壁になったのは、内容の難しさだけではありません。日本で習う英語は、聞き取りやすいきれいな英語。でも現地の若者は、流行り言葉を交えながら、文の切れ目がないほどの早口で話します。現地に着いたばかりの頃は、Minaさんも「どこで文が終わっているのかさえ、わかりませんでした」と振り返ります。
そこでMinaさんが徹底したのが、予習と復習です。
留学している以上、単位はしっかり取らないといけません。授業で置いていかれるのが、一番もったいない。だから授業の前には毎回しっかり時間をとって、「次はこういう議題になりそうだから、この単語を調べておこう」「こう振られたら、こう答えよう」と先回りして準備していました。授業中に「あ、この単語が出てきた。こういう意味だったな」とつなげながら、なんとか議論についていく。その繰り返しでした。
アメリカの授業では、細かい事前知識は「資料を渡すので各自で調べてきてください」というスタイル。予習をしないとついていけないのは、現地の学生も同じでした。レポートも辞書を片手に、何度も添削してもらいながら書き上げました。
言葉の壁を越えて。自分から踏み出した友人づくり
授業が少ない日も大学に通い、入り浸っていたのが留学生ルーム。日本から一緒に来た友人や、同じように苦労している中国や韓国からの留学生と、一緒に課題に取り組んでいました。
ただ、教室の中は別でした。
留学生というだけで、どうしても周りとは違う存在になってしまうんです。現地の学生同士が盛り上がっていても、その輪にはなかなか入れない。授業を受けながら、とても孤独だと感じていました。その状況がつらかったので、一度自分から友達を作ってみようと思ったんです。
ディスカッションの席は自由。Minaさんは毎回、自分から座る場所を選ぶことにしました。
「この人なら話せそう」と思った人の隣に行って、「ここに座ってもいい?」と声をかけるんです。座ったら、自分がどんな理由で留学に来たのかを話して。クラスになじめるように、とにかくいろんな人にコミュニケーションを取りに行きました。
友達の数は、決して多くはありません。それでも、ゆっくりでも話を待ってくれる友人ができ、一緒にショッピングや映画に出かけるようになりました。
70代のホストファミリーと過ごした、アメリカでのホームステイ生活
滞在先はホームステイ。ホストファミリーは70歳前後のおじいさんとおばあさんの夫婦で、同じ家では中国からの留学生も一緒に暮らしていました。
年齢が離れていることもあり、最初は「何を話せば盛り上がるんだろう」と探り探りだったそう。20歳なのに、なぜか子ども向けのディズニーチャンネルを見せられたこともあったとか(笑)。食卓では、おじいさんが飼っているインコが隣の椅子にちょこんと座り、食事が終わるとおじいさんの肩へ飛び移ります。そんな少しシュールな光景も、今では楽しい思い出とのことです。
毎日おいしいご飯を作ってくれて、「これがアメリカの料理だよ」「これはメキシコの料理だよ」と、いろいろな国の味を教えてくれました。みんなで食卓を囲む時間が、本当に楽しみでした。

留学生仲間のホストファミリーとも家族ぐるみで仲良くなり、一緒にバーベキューをしたり、アジア料理店に連れて行ってもらったり。平屋で庭が広く、お風呂が3つもある。そんなアメリカの家の大きさにも驚かされました。
週末は山へ。スーパーもハロウィンも、規格外のスケールに驚き!
アメリカの人たちは山登りが大好き。オレゴンは車で1時間も走れば登れる山がある環境で、ホストファミリーや友人たちと10人ほどで国立公園や山によく出かけました。海沿いでアザラシの群れを見たことも。シアトルやカリフォルニアにも足を延ばしました。

日常でいちばん楽しかったのは、意外にもスーパーでした。
日本のスーパーは商品がきれいに並んでいて、どんなものがあるか大体わかりますよね。アメリカはとにかく豪快で、見たことのない色のパンがずらりと並び、アイスクリームはバケツサイズ、シリアルは棚一面。何もかもスケールが大きくて、見ているだけで面白かったです。
一方で外食は、ランチでも2,000円ほど。量が多いぶん納得はできても、チップ文化もあるため、「頻繁に外食していたら、すぐにお金が尽きてしまう」ほどだったといいます。

季節のイベントも印象に残っています。ハロウィンは街全体が飾りつけられ、大人でも仮装してトリック・オア・トリートに行くと、家もお店もお菓子をくれました。

サンクスギビングには七面鳥の丸焼き、ジンジャーブレッドハウス作りやクリスマスのイルミネーション見物も経験しました。

ホームシックも留学の一部。だからこそ「1年行きたかった」
新しい挑戦の連続だった留学生活。一方で、慣れない環境が続くうちに、日本を恋しく思う気持ちも少しずつ出てきたといいます。多くの留学生が経験する、いわゆるホームシックです。
ホームシックは、3か月目くらいに訪れることが多いそうです。4か月の留学では、ちょうどその時期に帰国を迎えることになりました。1年間いれば、それを乗り越えた先の景色も見られたはず。だからこそ、戻れるならやっぱり1年間行きたいですね。
帰国もコロナ禍ならでは。国境が閉じる前にと12月に慌てて帰国したものの、カリフォルニアに立ち寄っていたため、東京で2週間の隔離に。公共交通機関が使えず、最後はお父さんが車で東京まで迎えに来てくれました。
留学で変わったこと① 自分の足で立つということ
留学して一番よかったこととしてMinaさんが挙げたのは、「自立」の意味がよくわかったことでした。
日本にいた頃は実家暮らしで、困ったら親にLINEをすればいいし、周りには言葉の通じる人がいました。でもアメリカでは、飛行機が飛ばなくなったときも、意味のよくわからない大学の手続きも、時間どおりに来ないバスでなんとか大学へ向かわなければならないときも、全部自分で調べるしかありません。つたない英語でいろんな人に声をかけて、助けてもらって。恥ずかしながら、そんな経験は初めてでした。
一つひとつは小さなトラブルでも、頼れる人のいない場所では、すべてが自分で解決すべき課題になります。
本当に、一人でなんとかしなければならない場面が多くありました。留学を経験してからは、以前よりもまず自分で選択して、行動することが増えたと思います。誰かのサポートを待つのではなく、「まずは自分でやってみよう」と思えるようになったことは、大きな変化でした。
留学で変わったこと② 「自分はこう思う」と言えるように
もうひとつの変化は、考え方です。「間違えたくない」「周りに受け入れてもらえることを言わなければ」と考えることが多く、Minaさん自身も、当時は周囲の反応を気にしながら発言していたと振り返ります。
でもアメリカでは、どんな意見にも「それいいね」「そんな考え方はなかった」と返ってくる。意見をうまく言えないと悩みを打ち明けたとき、返ってきたのはこんな言葉でした。
そんなこと、誰も気にしていないよ。言わなかったら負けだよ。(現地の友人)
それまでの私は、「周りからどう見られるか」や「間違っていないか」を気にしながら、自分の選択を決めることが多かったのだと思います。でも現地の学生たちは、ファッションも大学の専攻も、その先の仕事も、自分がどうしたいかを基準に選んでいました。そして、選んだ結果まで自分で責任をもって引き受ける。その姿を見て、「自分の人生を自分で決めるって、こういうことなんだ」と気づきました。同じ年齢なのに、自分の考えを持って堂々と選択している姿が、本当にかっこよく見えました。
教室でも、発言は「正解かどうか」で評価されるものではありませんでした。
正解か不正解かではなく、「ひとつの視点」として受け止めてもらえるんです。「あなたはどう思う?」と聞かれるのは最初は怖かったけれど、どんな意見でもまず受け止めてもらえる。その経験を重ねるうちに、自分の考えを言葉にすることへの抵抗が少しずつなくなっていきました。
留学を考えるあなたへ
実はMinaさん、本当は高校生のときに留学したかったのだそう。「大学で行かないと絶対に後悔する」と、高校3年生の大学選びでは1年間の留学が必須の学部に絞り、あえて後戻りできない状況をつくりました。
それでも、実際に留学を決めるのは簡単ではありませんでした。
決断するときは、本当に重たい選択でした。不安しかなくて、行くと決めるまでのハードルがすごく高かったんです。
英語に自信がなかったからこそ、同じように迷っている人に伝えたいことがあります。
不安を全部解消してから行こうとすると、遅いと思うんです。不安はあっても、一回行ってみよう、くらいの感覚でいい。行ってみたら意外となんとかなる、というか、なんとかするんです。
英語が伝わらなくても、向こうの人は頑張って汲み取ってくれる。伝えようとする気持ちが大事で、伝わったときのうれしさは、行ってみないとわからなかったです。
取材を終えて
予定の3分の1になってしまった留学期間。それでもMinaさんの話からは、4か月という時間の濃さが伝わってきました。語学学校を経ずに飛び込んだ現地の授業では、毎回しっかり時間をとって予習し、議論に加わるための準備を重ねる。孤独を感じた教室では、自分から隣の席に座って話しかける。どの場面でも、Minaさんは状況が変わるのを待つのではなく、自分から動いていました。
頼れる人がすぐそばにいない環境で、手続きも移動も自分で調べて乗り越える。現地の友人の言葉をきっかけに、「自分はこう思う」と口にできるようになる。4か月のなかで積み重ねた一つひとつの経験が、帰国後のMinaさんの考え方や行動を確かに変えています。「行ってみたら意外となんとかなる、というか、なんとかする」。その言葉に、留学で身につけた自立のかたちが表れていました。
英語に自信がなくても、不安をすべて解消できていなくても、一歩を踏み出すことはできる。そして踏み出した先には、伝えようとする気持ちを受け止めてくれる人たちがいる。Minaさんの経験が、留学に迷っている誰かの背中を押すきっかけになればうれしいです。

